安堂グループの歴史物語[第23話]

安堂グループの歴史物語 タイトル画像

 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第23話

「目に見えない敵」

 東日本大震災(平成23・2011年3月11日)の翌日、卓也はハサップの審査員と電話で話し込んでいました。その審査員とは、前日にハサップの更新審査でお世話になったばかり。その日の午後に震災は発生し、審査員は新幹線の緊急停車で東京へは戻れていませんでした。

ある重大な気付き

 「福島の原発から放射能が漏れているとか…。もし、爆発でも起きたら大変なことになりますよね」と卓也。
 「そうですね。放射能は風に乗って広がるようですね。雨が降って牛にかかれば、牛は汚染されるし、その肉を食べれば、人も被爆することになります。政府も規制に乗り出すでしょうね」。
 安堂畜産は福島県に近い関東からも肉牛を仕入れていました。およそ10年前、BSEの風評被害に苦しんでいた群馬県の農家から、安全が確認された肉牛を大量に仕入れたことがあります。その農家との取引も続いていました。
 「すぐ、牛の仕入れを制限した方がいいかもしれませんね」。

 電話を切った後、卓也と光明は直ぐに手を打ちました。翌日に入荷するはずだった関東からの肉牛に、ストップをかけたのです。
 光明は獣医の観点から、肉牛への放射能の影響を深刻に受け止めていました。放出されている放射性セシュウムは物理的半減期の長いことが知られています。牛の体内に入れば、それだけ長く影響を及ぼし、それを食べた人間にも健康被害がでるはずです。
 その日の午後3時過ぎ、福島第一原発の1号機で最初に水素爆発が起きました。卓也と光明は顔を見合わせて、判断が間違っていなかったことを確認したのでした。

安堂グループの歴史物語第23話

同業者の誘い

 東日本大震災の甚大な被害状況は日を追うごとにあからさまになり、混乱が続きました。そんなある日、光明はある同業者の言葉に耳を疑いました。
 「福島の牛がのぉ。とにかく安いんじゃ。あんたもどうかね」。
 その同業者は福島の肉牛をどんどん買っていると言います。
 「いやいや、ちょっと待った方がいいよ。そのうち規制も始まると思うよ」。
 光明はそう助言しましたが、既にかなりの肉牛を仕入れた様子。その肉はセール品として格安で売られたようでした。
 震災以降、福島県産牛の相場は急落していました。7月には、福島県と宮城県の稲わらを与えた肉牛からセシウムが検出されました。その稲わらは野外で乾燥させ、全国に出荷されたものです。汚染はさらに広がりました。幸い山口県にはその稲わらは入っていませんでしたが、稲わらを食べた肉牛が山口県にも入荷し、すでに店頭に並んでいました。
 問題を重く見た山口県は早速、問題の稲わらを食べた肉牛の肉を販売しないように呼びかけています。そして消費者保護の観点から山口県は、他の県が実施しなかった特別に厳しい措置に踏み切りました。該当する食肉を売る店舗の名前を全て公表したのです。
 身近なスーパーの名前を見つけて、消費者は驚きました。そして、名前の挙がったスーパーも対応に迫られ、大慌て。これによるイメージダウンは計り知れないものがありました。
 もちろん、安堂畜産はこれには含まれていませんでしたが、光明に福島県産牛が安いと話していたあの業者の店は、しっかり明記されていました。

風評との闘い

 さて、関東からの肉牛の仕入れを止めることにより、被害を水際で防いだ安堂畜産でしたが、風評による被害には手を焼きました。
 例えば納入していたある給食センターからは、「セシウムの検査をしていない肉は購入できない」と取引を断られました。
 「県内には問題の稲わらは入っておらず、当然それを牛に与えもしないし、それを食べた牛も仕入れていない」と、卓也は丁寧に説明しましたが、納得は得られませんでした。
 このようなセシウム汚染の風評は、福島県とは遠く離れた山口県においても1年以上続いたのです。
 やがて関東からの仕入れを再開した安堂畜産ですが、厳格な検査により安全が証明されたもののみを仕入れるようにしました。肉牛がセシュウムに汚染されていないことはもちろん、汚染された稲わらを与えていないという証明書を必須条件にしたのです。
 原発事故から9年が過ぎようとしています。福島県では、震災以降、肉牛の全数に放射性物質検査を実施し続け、今後はサンプル調査へと緩和される方針も決まっています。しかし、福島県産牛の相場は依然、下がったままです。その風評被害は未だ終息したとはいえない状況にあります。

一番大切なこと

 安堂畜産は家畜伝性病への対応や、厳しくなる取引先からの要求に応えるため、加工場の新設やハサップの認証を受ける等、食の安心・安全への取り組みに注力してきました。これにより菌数制限のクリアーや、事故の減少等、商品の安全性は目に見えて高まりました。
 その一方で、安堂畜産には目には見えない大切なことが備わったことを、原発事故を通じて知ることになりました。
 「福島の事故が全部悪いんじゃない。それがどんなに危険で、どんな影響が及ぶのかに気付くがどうか。それを想像できるかどうかが、問われている」。
 安堂畜産の食の安全への意識は、常にその気付く意識を持ち続けることだと、光明と卓也は改めて心に刻みました。

 この年、安堂畜産は大きく売り上げを下げました。さて、これをどうやって取り戻し、その後の安定成長へつなげるのか?
 原発事故の風評被害と必死に戦っている卓也を見ながら、光明はある企てを考えていました。それは、8年前の平成15年(2003)に開いた直営レストラン・高森亭にまつわる新しい取り組みでした。

← 第22話 「ハサップの夜明け」

→ 第24話 「高森亭の生い立ち」