安堂グループの歴史物語[第32話]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
第32話
「夢の繁殖センター」
安堂グループが掲げる理念は「ココロもカラダも喜ぶ ふるさとのビーフ」です。「美味しい」からココロが喜ぶ、「安心・安全」だからカラダが喜ぶ、そして故郷、すなわち「地産地消」。これらは、昭和初期から今日に至るまでの各世代によって培われてきた伝統を、3代目の安堂光明(現会長)が理念として掲げたものです。現在は4代目の卓也(現社長)が引き継ぎ、さらに進展させようとしています。
さて、これら「美味しい」「安心・安全」「地産地消」を追求する上で、欠かせない要素なのに、なかなか手に入れることができないでいるものがありました。それは、肉牛の繁殖。すなわち子牛を仕入れて肥育するのではなく、自前で出生から管理する方法への転換です。
ただし、「繁殖センターを作るのが、わしの夢じゃ」と光明が公言してはばからないほど、それは簡単なことではありませんでした。
産婦人科と保育園
子牛を仕入れて肥育するのなら、14~15ヶ月間育てれば食肉に加工することができます。しかし、繁殖から手掛けるとなると、倍以上の3年が必要になります。母体に種付けをし、うまく妊娠すればそれから10月10日(約285日)で出産。赤ちゃん牛を元気に育てて肥育舎に移すまでにさらに半年。そこからようやく仕入れた子牛と同じ肥育が始まるのです。手がかかる期間が長ければ、それだけ人件費も飼料代もかさみます。ましてや出産から乳離れの期間は病気へのリスクも桁違いに高く、気が抜けません。言ってみれば、繁殖センターは産婦人科と保育園が一緒になったような施設。金も人手も多くかかるのは当然です。
勿論、設備にも莫大な投資が必要になります。比較的シンプルな牛舎が並ぶ肥育場とは違い、種付けを管理する部屋、分娩のための部屋、母子が一定期間を過ごす部屋、子牛を肥育する部屋等を作らなければなりません。その投資額は概算で1憶5千万円。光明が尻込みするのも頷けます。
加えて、これを運営するための社員の確保と教育が必要になります。付きっ切りで夜を徹して世話をする小規模な農家とは違い、企業としてこれを運営するためには、従業員の労働環境にも配慮し、組織的な仕組みを構築する必要があるのです。
そして、企業の理念を実現させるという目的の他に、もう一つ、繁殖センターを必要とする事態が発生していました。もしかすると将来、子牛そのものが市場から消えるかもしれない。そんな危機的な状況です。
子牛の供給を担う繁殖農家は高齢化等により、減少の一途を辿っていました。農家が減少すれば、子牛も減少し、市場価格は時に高騰します。仕方なく高値の子牛を買うことが、多くなっていました。
「いずれ、子牛が足らなくなるのは確実だ。そろそろやらないと、手遅れになる」。
チャンス到来!
2009年(平成21)、宮崎県で口蹄疫が発生して大騒ぎになる前年のことでした。山口県は畜産業者の基盤整備事業として、施設整備の支援に乗り出しました。建設費の75%を補助するという制度です。光明は「待ってました!」とばかり、名乗りを上げました。
高森地区では他に二つの畜産業者がこれに応募していますが、そのいずれもが肥育のための設備投資です。繁殖センターの整備を申請したのは安堂グループだけでした。
こうして山口県東部では初となる肉牛の繁殖センター建設が始まったのです。
建設地は牧場から一山ほど離れた山間の地を選びました。そこは山に囲まれた谷間の傾斜地です。一見、不便に見える土地ですが、敢えてその地を選んだのには理由がありました。それは強い風から牛舎と牛を守るためです。
土地の傾斜にも利点がありました。谷間の奥、最も高い土地には妊娠前と妊娠中の牛の牛舎、その下には臨月の牛と出産したばかりの親子の牛舎、最も低い所には生まれてから2~6ヶ月の子牛。牛の移動を上から下へとスムーズに行うための工夫がそこにありました。
▲山間の谷間に作られた繁殖センター
2011年(平成23)になり、繁殖センターの完成が近づいていました。山の傾斜を利用するという光明の思惑通り、三つの牛舎が段々に並んでいます。妊娠する前と妊娠中の牛が入る牛舎は野外の放牧地ともつながり、牛が自由に運動もできるようになっています。稼働すれば、ここに最大で100頭の牛が入る予定です。少なくとも50~60頭を入れて稼働させたいと、光明は考えていました。そのためには、既に妊娠している妊娠牛を仕入れることが、最も手っ取り早い方法でした。
胃(腹)づくり
さて、一般の消費者からすると、こんな素朴な疑問が湧くことでしょう。
「肉用に肥育している雌牛を、妊娠させればいいのでは?」。
実は、健康な子牛を産む繁殖牛は、そもそも育て方が違い、そのまま転換することは不可能なのです。
子牛は生まれて母体から離す時に、食肉用にするのか繁殖用にするのかを決めます。それは「胃(腹)づくり」といわれる過程が既に異なるからです。肉用牛は大きく育てる必要から、それに適した胃袋が求められます。粗飼料や栄養の多い濃厚な飼料もたくさん食べられる丈夫な胃をつくることが求められます。その一方で繁殖牛は、太ると出産に弊害が出てしまうため、自ずと飼料も胃も違います。人と同じように、健康な母体から健康な子どもが生まれるというわけです。
▲妊娠牛を待つ繁殖牛舎(ここで臨月を過ごして出産する)
「いい妊娠牛が、安く出る市場はないだろうか?」。
光明は、市場で顔見知りに会うと、それとなく尋ねて、アンテナを張っていました。
2011年初頭といえば、前年に宮崎県で疫病・口蹄疫が流行し、その余波がまだ残っていました。そして、3月11日には東日本大震災が発生し、畜産業者も津波による直接の被害に加えて原発事故による放射能汚染とその風評被害に見舞われることになります。
光明はそんな社会情勢のなか、思いがけない幸運を得ることになるのでした。