安堂グループの歴史物語[第5話]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
第5話
ドライブインへの進出
昭和30年代の後半から40年にかけて、日本には物流革命が起ころうとしていました。日本の大動脈である国道が整備され、昭和38年には名神高速道路が開通しました。鉄道と船舶が中心だった長距離輸送に自動車が名乗りを上げたのです。
国道の交通量が増えるにつれて、様々な商売の立地や在り方も変化していました。そんな時流の潮目を、安堂商店は見逃しませんでした。
繁美と高橋の思惑
「これからは国道沿いでの商売が当たる」。安堂繁美(当時30歳前後)の読みは、ただの思い付きではありませんでした。仕事で立ち寄った関東地方で、幹線道路沿いの食堂が繁盛している光景を目の当たりにしていたのです。
酪農の中心が、大規模産地に移りつつあるなか、「そろそろ、新しい商売を」との思いを、繁美は強くしていました。
その頃、広島市の中心街で繁盛店・的場大学を営んでいた高橋太一(当時47歳前後)もまた、市街地での商売に限界を感じていました。「50円あれば、飲んで食べて楽しめる」という評判のお陰で、客足が途絶えることはありません。ところが、その人気が仇となり、似たような店が幾つも現れ、客の奪い合いが始まっていました。
「簡単に真似ができんような、特徴のある店を作らないとダメだ」。高橋の頭に、新しい店の構想が描かれつつありました。
真似をされない店
小さな精肉店を繁盛させた繁美ですから、小さい店でも大きく育てる自信がありました。ところが、高橋が設計士らと共に提案したドライブインは、繁美の想像を超える規模と奇抜なアイデアに満ちていたのです。
立地は徳山市(現・周南市)と防府市の境、椿峠に土地を求めました。国道2号沿いで、市街地では容易に手に入らない広い土地。そして、そこにはある伝説がありました。
椿峠から海へと下ると、四郎谷(徳山市戸田)という集落があります。「やまぐちの棚田20選」にも選ばれている風光明媚な場所です。そこには、あの忠臣蔵に登場する天野屋利兵衛が生まれた所だという言い伝えがありました。
大坂商人の天野屋利兵衛は、赤穂浪士へ槍を提供した仇討ちの影の立役者。町奉行に囚われ、拷問されたときに、「天野屋利兵衛は男でござる」と言って白状しなかったという話はあまりにも有名です。江戸時代に潮待ちの船が停泊したという四郎谷の港から、大坂に登って成功を収めたという説もあります。
高橋は、その忠臣蔵の英雄の名を借り、店名を「宿場天野屋利兵衛」と名付けました。
店の外観は白川郷の合掌造りをモチーフにして奇抜な三角形とし、先端には黄金色に輝く兜を被せました。
なかに入れば、江戸時代のお宿が再現され、立派な梁が天井を貫きます。壁面には甲冑や火縄銃などの古武具。天井近くからは天狗面や大絵皿が客を見下ろします。そう、それはまさしく、後に高橋が人生をかけて建設することになる「いろり山賊」の原案でした。
「これなら、絶対に流行る」と、繁美はすぐに惚れこみました。そして、かかる予算を聞いて、さらに驚きました。安堂商店の全財産をつぎ込むほどの投資額。それはつまり、失敗すれば、全てを失うことを意味していました。
性格の違う兄弟
兄・親之と弟・繁美はそれぞれ違う性格の持ち主です。肉牛の預託制度を考案し、牧場を経営するようになっていた兄は、計画を立て、地道に事業を育てる堅実な農夫。逆に弟は、精肉店を創業して人気店に育てたかと思えば、乳牛の斡旋で一山当てる。そんな時流を読み、チャンスに賭ける狩人。莫大な投資が要る飲食業への進出についても、やはり意見は割れました。齢60になり、第一線から退いていた父・寿と母・ユキも加わり、話し合いが持たれました。
豪勢な店を建てて、集客の見込みがあるのかどうか。従業員を雇ったところで、利益は出せるのかどうか。それらを話し合った後、議論は一つの結論を得ました。
「そこまで言うんなら、わしが家業は守るけぇ。やってみよう!」
兄のその言葉で、宿場天野屋利兵衛が生まれることになりました。もし、失敗したとしても、今の肉牛の仕事をしっかりやっていれば、大丈夫だろう。精肉を卸す取引を確実に増やしてきた親之には、その自信がすでに芽生えていました。
宿場天野屋利兵衛の開業
昭和40年9月1日、宿場天野屋利兵衛は開業しました。三角屋根の木造店舗は頂点に黄金の兜をいただき、国道を通行する車中の人たちの目を引きました。
これに使われた木材のほとんどは、安堂家の山で伐採したもの。できるだけ投資を少なくするためとはいえ、その材木は普通の家なら10棟を賄える量だったと言います。
また、店のレジに座ったのは、還暦を迎えた父・寿と母・ユキ。これもまた、人件費を抑える策の一つとは言え、次男の冒険に居ても立ってもいられなかったというのが、本音でしょう。
企画した通りの店が実現して目を細める高橋太一と、水を得た魚のように新事業に乗り出す繁美。その一方、本業を守ることに専念しながら、弟の店がつい気になる親之がいました。親之は仕事の休みがとれると、ドライブインの厨房に入るようになりました。
こうして、安堂商店挙げての大勝負が幕を開けました。さて、その勝敗やいかに!
▲頂点に兜を被る三角屋根の外観
▼天野屋利兵衛の4つ折りパンフレット