安堂グループの歴史物語[第11話]

安堂グループの歴史物語 タイトル画像

 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第11話

「ちょっと行ってこい」

 光明が家畜市場での競りに慣れ、安堂商店の顔として牛を競り落とせるようになると、父・親之がコツコツ整備してきた牛舎はたちまち400頭の牛で溢れました。
 売り物が揃えば、次は売り先です。安堂商店は顧客開拓に奔走します。

食品スーパーの悩み

 3,000頭もの牛をたった1週間で売りさばいた(第9話)親之のこと、販路開拓はお手の物のはず。ところが、普段の親之は営業に出て商談をすることを好みませんでした。
 50代半ばになり、それまでに培った取引や肥育の経験は同業者の群を抜き、人脈も広く深いものがありました。耳寄りな取引話を聞きつけることもしばしばです。そんなとき、親之は息子の光明を呼んで、「おい、ちょっと行ってこい」と告げました。息子に経験させようという意図もありましたが、本当の理由はもっと他にあったようです。
 昭和54年(1979)、27歳になっていた光明は、親之に言われて平生町(山口県)の食品スーパー・株式会社ミコー(後の株式会社ピクロス、現在は株式会社丸久)を訪ねました。野菜や鮮魚の品揃えはいいが、精肉が手薄になっているという噂を親之が聞きつけてのことでした。
 「肉はねぇ、一頭とか半頭を仕入れても、さばくのに知識も技術もいるからねぇ」と、社長の吉村さんは悩みを打ち明けてくれました。

意外な研修先

 昭和50年代から急激に高まった牛肉の消費需要を取り込もうと、食品スーパーはこぞって精肉売場を設けようとしました。しかし、骨を取り除いただけの正肉を仕入れても、それを部位に分けて、料理の用途別に陳列するには、専門的な知識と技術が必要です。八百屋や魚屋から食品スーパーに展開した店はどこも困っていました。そして、スライスするだけで店頭に出せるような部分肉(パーツ肉)の仕入れを望むようになったのです。できれば、消費者に人気のある部位だけを仕入れて売りたいというのが本音でした。
 下松市に本社のあった株式会社マミー(現在の西日本マックスバリュ)からも、同様の条件が付きつけられていました。
 「部分肉の扱いができるようにならないと、スーパーとの取引は拓けない」。
 光明は意を決してある畜産会社の門をたたきます。和木町(山口県)にある杉本畜産。豚肉を専門に扱っていました。

同業者の恩返し

 明治期から養豚は各地で盛んにおこなわれ、牛肉に比べて安価なことから、その流通も早く発達しました。牛肉に先駆けて部分肉での流通が発達し、各部位を効率よくカットし、見た目にもキレイにして陳列する技術にも長けていました。肩ロース、腕、バラ、モモなど少ないパーツで済むというのも、部分肉の流通が発達した理由の一つでした。
 部分肉の加工・販売について教えて欲しいという光明の頼みを、杉本畜産は快く受け入れました。戦後間もない昭和20年代半ばから数年間、安堂商店はハムの原料として豚肉を杉本畜産から仕入れていました。「大変なときに取引をしてもらった」という思いが、当時の杉本社長にはありました。
 現在、安堂畜産では1頭分を13部位、さらに顧客の要望により36部位に細分化して販売しています。これを実現できたのは、杉本畜産に教えてもらった豚肉の加工法が原点です。
 こうして部分肉に切り分ける技術を手にした光明は、ミコー(平生町)やマミー(下松市)との取引実現を果たしたのでした。

安堂グループの歴史物語第11話 写真 部分肉前の肉、ロース骨を残して吊るす
▲当時の部分肉(ロース)。出荷直前まで、骨付きで保存することで肉が硬く縮むことを避けていた。
現在の部分肉の姿に至る前の過渡期の写真。(素の写真にブレがあります)

親之の目論見

 光明からの報告を受けて、親之は静かにそれを喜びました。指示は出しても、自らは表に出ない。それは親之の元来の性分です。しかしもう一つ、自分で商談に行かない理由がありました。それは、新しい流通について研究して体制を作るという企画調整について、自信がなかったからです。
 「大学で獣医を目指して研究した光明なら、それができるはず」。
 その目論見が当たったことを、親之は喜びました。

さらなる課題

 さて、部分肉の取り扱いを開始した光明には、まだまだ解決すべき課題が山積していました。注文があるからと、屠畜を増やせば、注文のない部位が余り、歩留まり(原料に対する生産・販売量)がたちまち悪化。忙しいばかりで利益は得られません。従業員の労働時間も長くなり、「もう、これ以上は…」と注文を断ることもしばしばでした。
 これを解決する方法があることを光明は既に知っていました。それは、「真空チルド包装」。真空包装により空気との接触を断ち、0℃に冷蔵することにより品質を落とさずに鮮度を保つ。それまで10日程度だった賞味期限を45日に伸ばすことのできる画期的な技術でした。
 冷凍に頼らず、生のまま賞味期限を伸ばせば、人気のない部位も値を落とさずに売ることができます。歩留まりも回復するでしょう。
 ところが、これを導入するには、専用の機械やチルド冷蔵庫等、それらを合わせると投資額は数千万円に上ります。光明は頭を抱え込んでしまいました。

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