安堂グループの歴史物語[第35話]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
第35話
「新品種誕生の奇跡」
繁殖センター(高森肉牛ファーム)が完成してから3年が過ぎた平成26年(2014)の下半期あたりから、見島牛の種による子牛が生まれ始めました。肥育も順調で、安堂卓也(現社長)はすでに肉の販売戦略に思いを馳せていました。そんなときのこと。
「見島牛の精液の販売は中止します」と、精液の販売元である県から連絡を受けたのです。
じっくり新品種を開発するはずが…
精液の供給を受け始めて2年弱。一頭も牛肉にできていないタイミングです。その後まだ数年は、様々な母体との交配を試み、肉質等のデータを収集し、最適な組み合わせを見つけたいと考えていました。だから、少なくとも5年、もしかすると10年くらいかかるかもしれない。繁殖から手掛ける品種改良とは、そんな気の長い話なのです。なのに、このタイミングで肝心の精液の供給が絶たれてしまうとは…。
卓也は、「黒毛和牛ばかりが持てはやされている牛肉の市場に、一石を投じたい」という強い思いを持っていました。国産の豚肉には、黒豚(在来黒豚とバンクシャーの改良種)や東京X(3種による改良種)等、様々な品種が流通し、人気を博しています。その豊かな選択肢が消費者の食の楽しみにもつながっています。鶏肉もまたしかりです。
和牛にも実は、黒毛和種、無角和種、褐毛和種、日本短角種という品種がありますが、黒毛和種以外は生産頭数が少なく、気軽にこれらを求めて味わうことはできません。
在来種の生き残りである見島牛と黒毛和種の交配による商品開発が成功すれば、明治から昭和初期に日本人が食べていた在来牛の味わいに近い「新しい品種」が誕生するはずでした。
しかし、落ち込んでばかりはいられません。既に子牛たちは繁殖センターから肥育センターへ移り、元気に育ちつつありました。
「雌の子牛を繁殖のための母体にしよう。…これしかない」。
精液の供給が絶たれたからには、この方法以外にこの種を次代に繋ぐ方法はないのです。
ただ、この卓也の決断が、後々、ちょっとしたトラブルの種になろうとは…。
驚きの肉質
さて、見島牛(秋幸)と黒毛和種の交配により生まれた去勢の雄牛が牛肉として加工される日がやってきました。どんな肉質になっているのかと、卓也と光明(現会長)は固唾を飲んで待っていました。牛の体重は520kg。これは黒毛和牛の雌よりも100kg近く軽い目方です。しかしこれは想定内。小型という在来牛の特徴が現れた結果でした。
ところが、正肉として切り出されたときのこと、二人は目を丸くして驚きました。消費者に人気の部位であるロースやサーロインについては、黒毛和牛のそれとほとんど大きさが変わらなかったのです。
サーロインを計ってみると、9.1kg。それは、体重が100kgも大きい黒毛和牛のサーロインと比べて、たったの1kg軽いだけ。つまり、あまり人気のない腕やモモは小さくても、人気のロースやサーロインは大きく育っていたのです。
実は見島牛にはこのような特徴があることを、光明は知っていました。平成11年(1999)、安堂畜産は見島牛保存会の依頼を受けて、見島牛5頭を購入しています。食肉加工のとき、体重や各部位の重さは貴重なデータとして記録。そのデータには、他の部位に比べてロースがやや大きいことがすでに現れていました。
しかし、ここまでその特徴が顕著に現れるとは…。光明にとっても新鮮な驚きでした。
さらに、その肉質が二人を喜ばせました。
在来種そのものの特徴であるサシがよく入っていました。格付けではA4かA5といったところ。
これを食べてみてさらに驚きました。肉の味わいが濃いいのです。サシが少ない赤身の肉ならまだしも、サシも入りながら味わい深い。そして、光明にはどこか懐かしい味わいでした。明治から昭和初期、まだ在来牛の改良が進んでいない頃に口にしていた牛肉の味わいです。
「ああ、これが、本来の日本の牛肉だ」。
若い卓也にも、その実感が湧いてきました。
ロースやサーロインが大きく育ったこと、サシが入りながら濃いい味わいに仕上がったこと。これらすべてが奇跡としか言いようのない出来事でした。5~10年は覚悟して試行しなければ見つからない組合せです。それが交配を始めて最初の方で見つかるとは…。
卓也の先走り?
さて、そんな嬉しい出来事の一方で、光明は思いがけず困った状況に陥りました。見込まれる流通量に対して、肉牛の数が足らなくなったのです。
繁殖センターで生まれる子牛たちは、必要な流通量から逆算して生産計画に組み込まれています。ところが、繁殖センターで生まれた子牛の一部を急遽、卓也が繁殖牛に転換してしまったからです。そう、見島牛の種により生まれた雌牛たちです。
今から子牛を仕入れて肥育する時間はありません。かといって成牛を仕入れてしまえば、自家牧場で育った地元産にはなりません。
光明は、仕方なく月齢がまだ足りていない若い牛を食肉加工に回すことで急場を凌いだのでした。
さて、見島牛(秋幸)の血統を継いだ牛の牛肉は現在、わずかながら一部のレストランに供給され、牛肉ファンたちの舌を大いにうならせているということです。
近い将来、安堂畜産直営の精肉販売店やレストランでも、気軽に食べることができるようになることでしょう。