安堂グループの歴史物語[第6話]

安堂グループの歴史物語 タイトル画像

 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第6話

討入そばと肉めし

 安堂家の全財産をつぎ込んで、ドライブイン・宿場天野屋利兵衛は開業しました。安堂家の一身の期待と不安を載せての船出を、企画を一手に引き受けた高橋太一(いろり山賊・創業者)は、少し違う観点で、やはりその成功を祈るのでした。

名物料理の開発

 どんなに資金をつぎ込んでも、どんなに定評あるレシピで食事を出しても、その店が流行るかどうかは開業してみなければわかりません。ましてや、「今までにない特徴があって、簡単に真似をされない店」という高橋太一の想いを体現したとなれば、なおのこと、当たりはずれのリスクは大きくなっていました。
 昭和40年当時、日本の大動脈だった国道2号。そこを行き交うトラックや自家用車はひときわ目立つ三角屋根と黄金に光る兜に魅かれて、開業当初から客は入りました。しかし開業当初はどこでも、物珍しさから客が入るものです。勝負は入った客が満足して、また店にやってくるのかどうか。その際には知り合いも誘って来てくれるかどうか。その鍵の一つが、名物料理の存在です。

 高橋は長年の飲食店経営のノウハウをつぎ込んだレシピを、天野屋利兵衛に惜しげもなく捧げました。それが「討入そば」と「肉めし」です。
 「討入そば」は現在の「山賊うどん」のルーツともいうべきもの。一度食べれば、また食べに来たくなる。そんな味わいのスープが自慢の日本そばです。加えて、忠臣蔵に因む物語がスパイスになりました。
 「赤穂浪士47名は吉良邸の近くにある馴染みの蕎麦屋に集結。最後の食事となる蕎麦を腹いっぱい食べて、討入の時を静かに待っていた」。
 討入前に英気を養ったとの触れ込みで、「討入そば」はたちまち名物料理になりました。
 「肉めし」は、高橋の熱意と繁美の働きによって生まれたブランド「皇牛(すめらぎぎゅう)」の肉を贅沢に使った逸品。その皇牛は安堂商店が腕によりをかけて育てていました。

安堂グループの歴史物語第6話 名物「討入そば」の写真
▲名物「討入そば」。
一日に最大で1,500食を売ったとも記録されています。

安堂グループの歴史物語第6話 名物「肉めし」の写真
▲名物「肉めし」。
皇牛(すめらぎぎゅう)の肉を惜しみなく使った贅沢な牛丼。(写真は安堂グループ直営・高森亭にて)

集客の秘策

 一方、安堂繁美は別の方法でドライブインに客を呼び込む方法を画策していました。それは、当時まだ始まったばかりの大型バスによる旅行を誘致することでした。
 広島県で公務員をしていたときの同僚が、広島電鉄の役員になっていることを知った繁美は、旅程に天野屋利兵衛を組みこんでくれるよう依頼します。特徴のあるレストランで食事ができることは、旅行の魅力アップにもつながると、元同僚も喜んでくれました。
 ただし条件がありました。大型バスが入れる駐車場と大勢が一度に用を足すことのできるトイレが要るというのです。

道の駅の走り

 数か月が過ぎた頃、天野屋利兵衛は連日、客でごった返すようになっていました。マイカーでやってくる一般客はもちろん、昼時には大型バスが入ってきます。バスが着くと、客はまず駐車場そばに新設されたトイレ棟に寄ります。そして、すっきりした顔で店内へ。
 まるで江戸時代に戻ったかのような雰囲気と骨董品を愛でていると、名物「討入そば」や「肉めし」がやってきます。楽しく食事をした後は、お土産を求めて、店内をうろうろと…。それはまさしく、現在の「道の駅」そのものでした。
 安堂家の全財産をつぎ込んだと言っても過言ではない大博打に、内心ハラハラしていた繁美の父・寿と母・ユキは、店を手伝いながら、忙しさに嬉しい悲鳴を上げたのでした。
 休日だけ手伝いに来ていた兄・親之は厨房に入り、ほどなくして彼が作る焼き飯は、プロ級の腕前と評されるようになりました。

 さて、店の企画を一手に引き受けた高橋には、少し違う感情が芽生えていました。それは、不確かだったものが確かなものになった、確固たる自信です。
 「今度は自分の店だ」。高橋は人知れず武者震いをしていました。
 玖珂町(現・岩国市)の国道2号沿いに「いろり山賊」が開店したのは、それから6年後のことです。

安堂商店の本道

 弟の華々しいドライブイン成功の陰で、親之は畜産業と精肉加工・卸売業を地道に育んでいました。どんなに飲食店が繁盛しても、安堂商店の本業は畜産と精肉卸であることを親之は忘れてはいませんでした。
 昭和40年代、天野屋利兵衛が開業した頃から、流通業界もまた大きな変革のときを迎えていました。スーパーマーケットの進出です。
 大都市だけではなく、岩国市にもその波が押し寄せてくる。そんな噂を耳にした親之は、その対応にいち早く動き始めました。
 時流に敏感に反応して、新しい道を切り拓く。産地・高森において最後発としての辛酸をなめてきた安堂商店にとって、その気質こそ、最大の強みでした。

← 第5話 ドライブインへの進出

→第7話 注文が来ても、売るものがない