安堂グループの歴史物語[第14話]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
第14話
蛙(かわず)たちの勉強会
「安堂だけがいいことをして」という声に憤りを覚えた光明は、ある行動に出ます。昭和61年(1968)、光明、34歳の夏のことでした。
井の中の…
光明は高森地区の同業者・中村正美(中村畜産)を自宅に訪ねていました。中村は光明の4つ年上ながら、玖西食肉加工事業協同組合や高森農協の理事を務める等、同業の若手から一目置かれる立場にありました。
光明は中村へこう切り出しました。
「この狭い高森で競争して、足の引っ張り合いをしても、しょうがないと思うんです。このままじゃあ、井の中の蛙(かわず)です」。
地場のスーパーマーケットが大型店の進出によって激しい競争に晒されていることを身近に見聞してきた光明には、強い危機感がありました。各地にある大小のと畜場の再編が噂されていました。やがて食肉業界にも淘汰の波がやってくるでしょう。ところが高森地区では、姻戚同士の同業者が馴れ合い、ぬるま湯のなか、旧態依然としたやり方を続けているばかり。そんななか、躍進する安堂商店へのやっかみの声も聞こえていました。
「このままじゃあ、高森の産地そのものが、他の産地に食われてしまいます」。
いつになく真剣な目で訴える光明でした。 そして、一つの提案を告げました。
「若手で集まって、勉強会をしたらどうかと思うんです。飲み会をする前の1時間でいいんです。みんなが教えあって、時には他の産地を見に行ったり…。みんなでレベルアップしましょう」。
こうして、この年の10月、中村を発起人代表とし、「玖西食肉研究会」が設立されるに至りました。会員は地域の同業10社の若手後継者たち。持ち回りでそれぞれの店や家に集まり、若手同士の遠慮の要らない勉強会が始まりました。
喜ぶ人たち
「こりゃあ、何に使う機械かね?」。
「ああ、こりゃあねぇ・・・」。
そんな会話が各店で繰り広げられました。同じ高森の同業者といっても、競争相手です。他社の設備を見て、説明してもらえる機会など滅多になかったのです。
この様子を遠巻きに眺めて、喜んでいる人たちがありました。それは、研究会メンバーの親や祖父母の世代、当時の経営者たちでした。彼らは互いの腹の内を探り合うことはあっても、真剣に産地や業界について語り合うことなど、したくてもできずに過ごしてきました。
勉強会後の親睦会では、会場になった店が会員たちに料理と酒をふるまうことがよくありました。それは、研究会の活動に目を細める親世代からの、無言の応援でした。
安堂商店での勉強会は、原価計算がテーマになりました。一頭や半頭を丸々売ればよかった時代なら、原価はわかりやすく、価格設定も楽でした。しかし、卸先からの要求は部分肉(パーツ)へとシフトしていました。よく売れるパーツばかりを仕入れたいというのは、当然の成り行きです。ところが、その場合の原価計算は単純ではありません。地域の多くの店が、原価計算に戸惑い、昔ながらの経験と勘に頼っていました。
安堂商店は、先進的な流通業者から学び、パソコンも活用して進化させた原価計算のノウハウを、研究会のメンバーへ伝えました。惜しげもなくノウハウを教える光明に、会員たちは安堂商店躍進の理由を知るのでした。
もはや、「安堂だけが、いいことをして」という声は聞こえなくなっていました。
飛び出した蛙たち
時には他の産地へと、視察旅行へ出かけました。その手配には、光明が家畜市場で知り合った同業者のネットワークが大いに役立ちました。
最初に訪問したのは、食肉の移動販売を全国に先駆けて展開していた大分県宇佐市でした。店舗を構えることなく、消費者の近くに移動して販売する手法に、会員たちは目から鱗の見聞をしました。これに感化されて会員の一人は、さっそく移動販売車を購入しました。ただし、山口県では食肉の移動販売は許可されておらず、その会員は泣く泣く車を手放したということです。
ある勉強会では、各地の銘柄牛について話題になりました。神戸牛や松阪牛などのブランドがテレビの旅番組にたびたび登場していました。
「ありゃあ、本当にうまいんじゃろうか?」と、会員の一人がとぼけた声を出すと、
「おいおい、お前、松阪牛を食べたことがないんかぁ?」と別の会員。
しかし、みんなは笑うどころか、シーンと静まってしまいました。
実は会員のほとんどが、松阪牛を食べたことがなかったのです。
「じゃあ、みんなで食べに行こうやあ」と話しはまとまり、光明は松阪牛の老舗料理店を手配しました。
この旅がその後の「高森牛」誕生につながるとは、まだ誰も知る由もありません。松阪牛を食べに行くというワクワクで、会員たちは浮足立っていました。
▲ 玖西食肉研究会規約