安堂グループの歴史物語[アナザーストーリー 13]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
アナザーストーリー 13
「阿武町に行って知る無角和種の素晴らしさ」
試食会という名の会議
2022年3月26日、冷たい雨が桜の花を散らしたその日、山口県の日本海側に位置する阿武町のとある施設で、あるイベントが開かれました。それは、この町を中心に飼育されてきた和牛・無角和種について、その未来を考えるというもの。堅苦しい議論は置いといて、東京から呼んだシェフが創る無角和牛の新しい味わいを試しながらの会合(阿武町主催)でした。
その参加者のなかに、安堂光明(安堂グループ会長)と安堂卓也(同グループ社長)親子の姿もありました。どんな料理が出て来るのか。そんな期待はもちろんですが、種の存続が危ぶまれるほどに衰退していた無角和種の未来を、どのようにして拓いていくのか。二人の関心はむしろそちらに向けられていました。
100年の歴史
無角和種の誕生はおよそ100年前に遡ります。山口県内の畜産試験場において、日本の在来種に外来のアバディーン・アンガス牛をかけ合わせたことによります(歴史物語 第27話)。肉用として、より大型で育てやすい品種を目指してのこと。これによって誕生した雄牛は、阿武町で種牛としてその優秀さを発揮し、この町は一躍、無角和種の産地になりました。
穏やかな性格で角のない無角和種は、食欲旺盛で成長も早く、外来種由来の大きな体格です。肉用として人気を博すと、最盛期には年間1万頭弱が飼育され、子牛の価格は黒毛和牛のそれより高値(昭和38)で取引されました。
ところが、昭和40年頃からサシの入った霜降り肉の人気が高まるにつれて、サシの入らない赤身肉が特徴の無角和種への需要は減り始めました。牛肉の輸入自由化も相まって、生産者の多くは、サシが入りやすい黒毛和牛の飼育へとシフトしたのでした。結果、飼育頭数は300頭を切り、種の保存が危ぶまれる状況に陥りました。
平成に入ると無角和種の繁殖センターが稼働を開始。流通での価値が高まらなければ生産も増えないという考えから、無角和種産直拡大協議会(以下、産直協議会)が設立され、販売面での取り組みも始まりました。安堂光明も、この協議会に参加すると、積極的に無角和種の流通拡大に尽力。全国の高級レストランへの取引の拡大と共に、通販による直販(JAタウン)チャネルを開拓するなどの成果がもたらされました。しかし、現在もなお、その飼育頭数は200頭前後にとどまっています。
無角和牛、味のニューウェーブ
やがて運ばれてきた料理を見て、卓也は驚きました。赤身肉が特徴の黒毛和牛にあって、あえて脂身が厚い外バラを使った料理。白くてキラキラした生ハム「ラルド(背脂の生ハム)」が現れたのです。
▲無角和種ソトバラのラルドともも肉の生ハム
生ハムやベーコンと言えば豚肉が定番です。和牛の生ハム、しかも白い脂…。半信半疑な気持ちで卓也は口にしました。すると、これが意外に美味しい。口のなかであっさりと溶けるようにして、うま味が残ります。数枚のスライスをまるで前菜のようにサクッと食べて、卓也は思いました。
「ああ、これは馬刺しのタテガミのよう。あっさりしていて、甘味もある」。
赤身肉が特徴の無角和牛には、サシは入っていなくても、立派な厚みの皮下脂肪を伴っています。通常はその多くを削いで商品化するのが常です。しかし、この料理法なら、むしろ皮下脂肪が売りになります。
イベントでは、生ハムを入れて4品が提供されました。どれも趣向を凝らしたものばかり。まさに無角和牛の味のニューウェーブです。
▲無角和種 前スネ肉のパナータ 香草パン粉焼き 地産サラダ
▲無角和種のネックの焼き切った クラシックスタイル フォゴット仕立て
▲無角和種のロース ローストビーフ はし肉で取ったブイヨン ダヴィンチ風
100年先に向けて
胃袋を満たした後、イベントはいよいよ本題へと入って行きました。
これまでの100年の歴史を踏まえた上で、これからの100年をどのようにして無角和種の発展へと繋げるのか? 産地・阿武町が、2019年度から3年をかけて調査研究して考案された構想が発表されました。
答えは、産地である阿武町の恵まれた自然環境にありました。
ワインやコーヒー、お茶などを特徴付ける言葉に「テロワール」があります。もともとは「土地」を意味するフランス語terreから派生したもの。産地の地理、地勢、気候などによって作られるその土地特有の味わい、香り、個性のことを言います。
無角和種のテロワール、つまり濃厚な味わいの赤身肉という特徴は、産地である自然豊かな阿武町によって育まれたものです。だから、阿武町という土地の個性を伴って、無角和種の商品価値を、より印象的に人々に伝えること、「品種と土地の個性を価値に」。これが、向こう100年の活動を方向付けるコンセプトです。
ある家族の週末物語
卓也は説明を聞きながら、今までにない新しい無角和種のブランド訴求に思いを馳せました。それは、ある家族の物語です。
―― 週末、SNSの書き込みをチェックしていたパパが、声を上げました。
「おい、明日は阿武町に行こう! キャンプ場で牛肉を焼いて食べるんだ」。
「えっ!? なにも阿武町にまで行かなくっても、ステーキ買って家で焼けばいいんじゃない?」。
最近、妻は子育てでお疲れモード。もし出かけるなら、パパと子ども達だけで行ってくれたら…、というのが本音です。
「いやいや、それが、阿武町に行かないと食べれない。すごい珍しい肉なんだ」。
「珍しいって…、じゃ、高いんじゃないの?」。
「それがね。そうでもないらしいんだ」。
こうして翌朝、家族はドライブに出かけました。子ども達は大喜びですが、妻は仕方なく助手席に…
ひたすら山道を走って、子ども達はすっかり寝ていたときでした。
阿武町の看板が過ぎて少しすると、ぱっと視界が広がりました。
「おい、牛がいるぞ、牛が!」
子ども達は目をこすりながら…
「うぉー! すごーい! 牛がいっぱいだぁー」
はしゃぐ子ども達に、ママもなんだか嬉しくなったようです。
到着したのは、阿武町道の駅に併設された「ABUキャンプフィールド」。
大きくて厚いステーキ肉です。
キャンプ場のおにいさんから説明を受けて、家族は無角和種という品種を初めて知りました。絶滅が危惧されるほどに希少な牛たち。その種の保存のために、沢山の人達が努力してきたこと、そして、この土地の牧草を食べて丁寧に育ててきたこと。その尊い命を、産地である阿武町で、家族はまさにいただこうとしています。
「そういえば、ここに来る途中で見た牛たちには、角がなかったな」とパパ。
子ども達の顔つきが、急に神妙になりました。
ステーキ肉を薪の炎で焼き始めました。焼き方を教えてもらいながら、パパが焼き始めました。
少しすると肉はジュージューと素敵な音を立て始めました。
薪の煙に混ざって立ち込める肉の焼ける匂い。家族みんなが思わず唾をのみ込んだのでした。
ステーキの味わいは格別でした。今までに食べたどんなステーキよりも美味しかった。もちろん、赤身の濃厚な味わいもさることながら、牧場にいた無角和牛との出会い。人々の努力により絶滅を免れた希少な品種であること。そして、そのお肉を産地の自然のなかでいただいたという現実が、より一層、味わいを深めたのは言うまでもありません。
帰り道、子ども達はすっかり眠りについて、助手席の妻はポツリとつぶやきました。
「ねえ、今度は日帰りじゃなくて、キャンプをしに行きましょうよ」。
安堂グループの決意
阿武町には、珍しくて美味しい牛肉と、人を癒す何かがある。卓也はそんなことを思いながら阿武町を後にしました。
「今度は、仕事じゃなくて、本当に家族で遊びに来ようかな」。
そして、安堂グループとして、無角和種のこれからの100年に貢献する想いを強くした卓也なのでした。
卓也が思いを巡らせた家族の体験は、実際に道の駅阿武町のABUキャンプフィールドで楽しむことができるようになるとのこと。無角和種の新しい100年を、その味わいと共に迎えたいものです。