安堂グループの歴史物語[アナザーストーリー 2]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
アナザーストーリー 2
「安堂グループの食品衛生への取組(その1)」
業界に先駆けたHACCP導入
2021年6月、食品を取り扱う事業者に対してHACCP(ハサップ、※脚注参照)の導入と運用が完全義務化になります。昨年の食品衛生法の改正から1年間の猶予期間が設けられ、まだHACCPを導入していなかった事業者にとっては、慌ただしい1年になりました。
安堂畜産はというと、10年前の2011年の春には、牛肉の加工から小売りに至るHACCPを取得しています。当時はまだ、全国でもHACCPを導入する企業は稀でした。(第21・22話)
さらに、2021年に向けては、繁殖や肥育の現場でもHACCPを導入するための取組を開始し、農業生産法人・高森肉牛ファーム(安堂グループ)において、農場HACCPを取得しました。これにより、繁殖、肥育、食肉加工、小売りという全ての過程において、HACCPを導入したことになります。
安堂畜産の食品衛生への本格的な取組は1991年に端を発しています。それは取引先からのあるクレームでした。
「パックのなかに虫が入っていたぞ!」。(第17話)
これを契機に、当時の社長・安堂光明はウインドウレスの加工場と本社屋を思い切って新設することを決意。1993年、現在も稼働している本社・加工場が実現し、これ以降、同様のクレームはなくなりました。
O157の衝撃(1996・平成8)
新しい本社・加工場が稼働を始めて3年後のこと、食品衛生に関わる大事故が発生しました。腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒です。
1996年5月下旬、岡山県邑久町の小学校では468人に食中毒が発生。そのうち2名の児童が死亡しました。その後、他の県でも食中毒が頻発。7月には大阪府堺市で、これまでとは桁違いの規模の学校集団中毒が発生し、患者児童は6千人を超え、やはり2名が命を失いました。国と地方の関係機関による徹底的な調査が行われましたが、明確な原因究明には至りませんでした。
欧米では1980年代にO157による集団食中毒が頻発し、その原因はハンバーガーや牛挽肉との調査結果でした。欧米の疫学調査によると、感染源は家畜。特に牛の糞便で、食肉処理の過程で汚染を受けるとの報告でした。
不思議な細菌O157
意外なことに、O157は牛にとっては無害です。しかし、人が少量でも口にすれば、4~9日という長めの潜伏期間を経て食中毒を引き起こし、場合によっては死を招きます。さらには、人から人への二次感染の可能性もある恐ろしい細菌なのです。
光明はO157のことを、「不思議な細菌」と表現します。というのも、出荷1週間前の牛の糞便を検査したときのこと、その2割近くの牛の糞からO157が検出されました。しかし、3日後の検査では検出されなかったり、そのまた数日後には再び検出されたり…。獣医の光明にとっては理解に苦しむ現象なのです。
そもそも安堂畜産では、肥育段階から糞便が牛の体に付着しないように気を付けてきました。他の牧場では、いわゆる鎧(よろい)と呼ばれる毛に糞が固くこびり付いている牛を見かけることがありますが、安堂畜産にはいません。他から仕入れる場合も、事前に汚れを落としてからの搬入を相手先に義務付けています。
より厳しい衛生基準へ
このO157の集団食中毒以降、国の牛肉の衛生基準はより厳しいものになりました。その一つに、と畜場(旧・周東食肉センター/現在のセンターは2015年に新設)での枝肉の温度管理の問題がありました。枝肉をと畜場から自社の加工場に持ち帰るとき、10℃以下に冷蔵することが要求されました。しかし、当時はそれを可能にする冷蔵庫は、と畜場には装備されていませんでした。
その点、安堂畜産はと畜場に隣接する加工場(周東食肉流通センター)を利用し、加工場の冷蔵庫に素早く保管できたので、その心配はありませんでした。問題になったのは、隣接加工場を利用せず、自社の加工場へ枝肉を運んで処理していた他の事業者たちでした。
周東町(現・岩国市)はその問題を解決するために、と畜場内にも冷蔵庫を備える決定をしました。ただ、設備投資は町が負担しますが、運用コストはこれを利用する事業者が支払うことになります。ここでまた問題が発生しました。その料金を計算してみると、枝肉一頭分に1,800円かかることがわかりました。激しい価格競争を繰り広げている事業者らにとって、そのコストアップは受け入れがたいものでした。
ほとほと困り果てた事業者らは、光明に相談することにしました。
「自分たちだけであの冷蔵庫を使うと、負担が大変でやっていけない。だから、安堂さんも負担してもらえないだろうか」。
元より、安堂畜産はと畜場に新設される冷蔵庫を使う必要はなく、その運用費を負担する謂れはありません。光明はふと、15年ほど前に起きた、似たような出来事のことを思い出していました。
父・親之の助言
あれは15年前、周東町がと畜場を整備して3年が過ぎた1981年(昭和56)のことでした。その頃、安堂畜産には既に自社加工場に大型冷蔵庫を備えていましたが、小規模の事業者にはそれがありませんでした。まだ衛生管理が厳しく問われていないこともあって、と畜場から持ち帰った枝肉を冷蔵することなくさばき、加工していたのです。
そこで周東町は、と畜場の隣接地に大型冷蔵庫も備える共同利用の加工場(周東食肉流通センター)を整備することを決めました。ところが、そこの利用を見込む事業者だけで共同加工場を使うと、一社当たりの利用料が高くなり、とてもやっていけないことが判明したのです。
この窮地に助け船を出したのは、安堂畜産でした。それは父・親之(2代目社長)のこの言葉がきっかけでした。
「うちの加工場の一部を町がつくる加工場に移さないか? その方が地域のみんなのためになるし、と畜場のそばなら、衛生面でも申し分ない。それに、お前が入れたい新しい設備も用意してくれるかもしれない」。(第12話)
こうして光明は、枝肉をさばく工程を共同加工場に移し、冷蔵庫を持たなかった地域の事業者たちもその加工場を利用できるようになったのです。
根底に流れる衛生管理への意識
「あの時と同じだな」。
光明はそうつぶやくと、地域の事業者のため、と畜場に整備される冷蔵庫への運用費の一部負担を決めました。それは一頭当たり800円、年間約320万円の負担となり、2015年(平成27)に新しいと畜場(現・周東食肉センター)が完成するまで、その負担は続いたのでした。
安堂畜産の衛生管理が本格化したのは、クレームへの対応がきっかけでしたが、衛生管理への意識そのものは、世代を越えて引き継がれてきたと言えます。2代目の親之は早くから冷蔵庫を備えた加工場を自宅敷地内の牛舎を解いて整備していました。また、自社だけでなく、地域の事業者が共に衛生面の向上を図ろうという社会貢献の意識も持ち合わせていました。それら親之の思いを3代目の光明は継いだのです。
さてこの後、安堂畜産は口蹄疫(2000年・宮崎県)、BSE(2001年)に翻弄されるなか、より積極的に食品衛生への対策に取組ようになります。それが、HACCPの取得でした。
次回にはこれ以降の取組についてのアナザーストーリーを紹介することにします。
※脚注;HACCP(ハサップ)
HACCPとは、宇宙食の安全を守るためにアメリカで開発された衛生管理手法です。旧来から日本では主に抜き取り検査によって食品の安全を担保してきました。しかし、これでは危険を完全に排除することは困難です。そこで、HACCPでは、各工程のリスクを分析し、管理・記録することによって、抜け目のない衛生管理を実現しています。
実はカナダやオーストラリアでは、1992年からHACCPの義務化が始まっていました。お隣の韓国でも2012年にはスタートしています。日本はHACCPについては大変な遅れをとっていたのです。この東京オリンピック開催を控えたタイミングをとらえて、慌てて義務化が決まったというわけです。