安堂グループの歴史物語[アナザーストーリー 3]
高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。
アナザーストーリー 3
「安堂グループの食品衛生への取組(その2)」
10年周期というジンクス
安堂光明(会長)と卓也(社長)の胸には、「10年周期」という言葉が悪いイメージを伴って刻まれています。
下表は安堂グループの食品衛生への取組を年表にしたものです。不思議なことに、安堂グループに食の安全に関する課題を突き付ける大きな出来事は、1991、2001、2011と10年毎に発生しています。そして、その度に光明と卓也はこれらの課題を克服してきました。それが、現在の牧場から流通に至る全工程でのHACCP認証取得に繋がっているのです。
食品の安全・衛生への取組年表
年 | 課題・問題 | 対策 | |
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1991 | H3 |
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1993 | H5 |
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1996 | H8 |
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1997 | H9 |
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2000 | H12 |
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2001 | H13 |
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2003 | H15 |
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2004 | H16 |
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2006 | H18 |
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2010 | H22 |
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2011 | H23 |
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2012 | H24 |
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2020 | R2 |
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2021 | R3 |
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いつも出鼻をくじかれる
1991年の「精肉パッケージに虫の混入」は、ウインドウレス工場の新設を実現させています(第17話)。
2000年には92年ぶりとなる「口蹄疫発生」、そして翌年には「BSE発生」。これらの風評被害による販売不振は、安堂グループの経営に大きな打撃を与えました。特に、高森肉牛ファームを設立して肥育体制を倍に拡張(1,000頭)した翌年、肉牛が育って「さあこれから出荷!」というタイミングに、出鼻をくじかれた形でした。
また、国によりトレーサビリティ制度の導入が進み、店頭での牛肉の個体識別が可能になりました。すると、消費者や取引先からの食品衛生に対する要求はさらに厳しさを増し、このことが、安堂グループをHACCP取得に駆り立てることになります。取引先から、「おたくの加工場に問題はありません。ただ…、と畜場が旧式ではね」と言われて、取引開始に至らないことが増えてきたのです。(第21話)
確かに、2015年に現在のと畜場・周東食肉センターが完成するまでは、と体を一度、床に下ろして作業する工程があり、その時に細菌に汚染される危険がありました。(現在の施設では、枝肉までの全ての工程は床に下ろすことなく、レールに吊るしたままで行われています)
と畜場が旧式でも、最も厳格な食品衛生の方式といわれるHACCPを認証取得すれば、取引も広げることができるはず。光明は、当時、大手食品スーパーに勤務していた息子の卓也(当時26)の入社と同時に、HACCPへの取組を指示したのでした。
一からマニュアル作りを始めた卓也でしたが、あの問題のと畜場の工程が壁となって立ちはだかりました。しかし、食品の殺菌に広く使われている次亜塩素酸水を吹き付けるシャワーリングを備えることにより、事態を打開。取組から2年を経た2004年にはHACCP認証を取得しました。(第22話)
HACCPの効用は大きく、イオングループやセブンイレブン等の大手流通との取引もスタートしました。
その矢先のこと、再び口蹄疫が発生したのです。前回の発生から10年後の2010年のことでした。その被害は、前回のそれを大きく超え、29万頭の家畜が処分されるという甚大なものとなりました。
さらに、翌年2011年には東日本大震災が発生。福島第一原発事故により、飼料の麦わらが放射性物質・セシウムに汚染され、それを食べた肉牛が流通する騒ぎになりました。安堂畜産はすぐに関東方面から肉牛の仕入れを停止しています。しかし、原発事故による風評被害は長く畜産業者を苦しめることになりました。(第23話)
「さあ、これから!というときに、またか…。ちょうど10年周期だ」と、卓也は光明に嘆いたのは、このときのことでした。
追い打ちをかけたO-157
安堂グループにとっては、原発事故の風評被害に加えて、思わぬ落とし穴が待っていました。それは、原発事故から1か月が経つ頃に発生したO-157等の腸管出血性大腸菌による食中毒の発生でした。発生源は、富山県と福島県の焼肉チェーンで出された生食用の牛肉。5人が命を落とす事態に国は、生食用牛肉の規制に乗り出しました。その対象に、まさかの「牛のタタキ」が入ったのです。
「牛のタタキ」は安堂畜産の人気商品。長年、庶民の味として親しまれてきました。光明と卓也は大きなショックを受けました。(第25話)
「牛のタタキ」は加熱処理を経て商品化されます。これが生食だと言われて、卓也は保健所と厚生労働省に抗議をし、それは半年にも及びました。
結局、卓也は試行錯誤を重ねて、厚労省が示した製造方法を取り入れながらも、以前と変わらない味の製造法を開発。厚労省からの製造許可を勝ち取り、その年の年末商戦に間に合わせたのでした。その時、許可が下りたのは、全国にたった3社でした。(第26話)
ジンクスを乗り越えて
「10年周期」に訪れる困難を乗り越えた先にはいつも、さらに食品衛生の面で強くなった安堂グループの姿がありました。それは、降りかかる問題から逃げることなく、それを何とかして克服しようとする熱意の賜物だと言えます。その原動力は、「安心・安全な牛肉を取引先と消費者に届けたい」という揺るぎない志に他なりません。
さて、10年周期が本当だとしたら、2020年と2021年には何かの災難が降りかかっているはずです。それはもしかすると、新型コロナ感染症、さらには消費の低迷なのかもしれません。
しかし、光明と卓也はそのようなジンクスを妄信してはいません。
2020年には、山口県で初となる肉牛の農場HACCPを認証取得しています。これにより、繁殖・肥育そして従来の加工・販売までの全ての工程での高度な安全性を証明したのです。
そして安堂グループの食の安全への取組は今も、毎日、続いています。
▼牧場・高森肉牛ファームの農場HACCP認証取得により、繁殖から販売までの全工程がHACCPの認証を取得しました。